上手に泣いてあげられなくてごめんね

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中盤戦:23

「……ねえ、待たなくてよかったの、本当に」
 エリアB-6、神社へと続く一本道の砂利を鳴らし歩きながら、小泉真希(女子4番)が呟いた。前方には見慣れたクラスメイトが歩を進めているのだが、残念なことに今はその表情を窺い知れなかった。彼の反応を探ろうにも、振り向いてもらえない限りはその声色でしか判断できない。合流して幾ばくか経ったが、この一本道へと差し掛かった辺りから、彼は一度としてこちらを振り返ろうとしない。振り返る気配すら、まったくと言って良いほど感じられなかった。
「……茂?」
 訝しげに彼はクラスメイトの名を口にする。
「うん。茂の他に、誰がいるの」
 さも当たり前だとでも言うかのように反応したが、そこで真希は、はた、と気が付いた。普段、日常生活において使用していた出席番号順と言うのは、男女それぞれを分けたものではなく、ただ単に五十音順のものを使用していたのだ。であれば、このような状況下の中で男女別に出席番号を分けたものに馴染みなどありゃしないだろう。真希自身は室内待機者最後の二名になるまで教室に残っていたからまだしも、少年に関しては真希よりも遥かに早く出発していたのだ。誰が室内に最後まで残っているかなど――駒井茂(男子5番)が最後まで残っているかなど、頭の中で照らし合わせるなりデイパックの中に入っている名簿を見るならまだしも、彼が瞬時に判断出来るほどの頭は持ち合わせていないのは明確だった。
「――あー、ごめん。うん、茂。男女別の出席番号、わたしと茂がそれぞれ一番最後だったんだわ」
「あー、そういう事かあ。なるほど、納得。……茂かー」
 後方からでも、少年の手の平が彼の顔を覆ったのがわかった。
「待っときゃ良かったな、アイツ。失敗した……ごめん」
 あ、こっち見た。
 振り向きざまに謝罪の言葉を述べると、真堀豊(男子12番)は真希に体を向け一度歩みを止めると、胸元で手を合わせ、苦笑いを浮かべた。
「……わたしだって、もっと早く気付けば良かったから、気にしないで」
 口元に苦笑いを浮かべながら、そのまま足を踏み出した。一歩、また一歩と、豊との距離が縮まっていく。
 彼との距離の差があと1メートルというところで、歩を進めるのを止めた。そのままその場にデイパックを降ろし、手探りで中身を探る。
「――真希?」
「うん、ちょっと待ってて」
 疑問を浮かべる豊を静止し、デイパックをまさぐったまま静かに瞬きをした。瞼を閉じようとすると目の渇きによる痛みが生じる。――こんなにも瞬きをしていなかったのか。思わぬ視点から気付かされたこの緊迫した空気に、唇の隙間から溜め息が漏れる。しかし、そんな暇すらこのような状況下にはない。
 デイパックをまさぐる手がピタリと止まる。目的のものを手中に収めたことを確認し、真希はデイパックを掲げ直した。
「ごめん、お待たせ。いこ」
 通り過ぎる際に少年の肩に手を置き、真希は再び歩み始めた。後方から「ちょ、待てよ!」と実に似ても似つかない村木琢哉――大東亜が誇る男性アイドルユニットの中心人物だ。メディアが“ムラタク”と騒ぎ出すのは、専らこの人物である――が彼女を呼び止めたが、余りの酷さに右から左へ聞き流すことに決め込んだ。
 ――が。間髪入れずに再び「ちょ、待てよ!」と真希を呼び止める声が辺りに響き渡る。どうやらこの偽ムラタクは相当諦めが悪いらしい。呆れ顔で振り向けば、手中に収めていた麺棒で彼の頭を軽く叩いた。
「いってぇー……冗談じゃん。え、何そんなに似てなかった?」
 少々赤みが生じた額を擦りながら、涙目で豊が首を左右へ捻らせる。その様子が可笑しかったのか、尖っていた真希の口元が思わず綻んだ。

しかしほんのひと時の和やかな時間は、瞬く間に崩れ去っていった。血色の好い真希の顔が一瞬にして青ざめていく。彼女はまるで金魚みたいに口をパクパク開閉しながら、ぎこちなく麺棒を持たない方の手で豊を指さした。
 まさか自分を見て血相を変えるはずはあるまい――
 体中の熱が奥底からじんわりと、しかし確実に湧き上がってきた。ギ、ギ、ギ、と音が聞こえるかのようにぎこちなく振り向くと、豊のすぐ後ろに女生徒が立っていた。
 そこにはいつから居たのか。
 自分たちが気付かなかっただけなのだろうか。
 ずっとつけてきたのだろうか――
 考えてもきりがないにも関わらず、疑問は次から次へと生じ、頭を駆け巡っていく。いつだかの真夜中に振りかかった金縛りのように脚が言うことを聞かない。豊の心拍数は急上昇し、思わずデイパックが肩からずり落ちそうになった。
 女生徒は俯き加減で、豊の顔の位置からは彼女の表情は窺えない。
「お……お前――」
 いつからそこに。そう紡ごうとし、豊の口の筋肉はその働きを一時停止した。俯くばかりだった女生徒が、緩やかなスピードでおもてを上げていく。
「豊!」
 全く動こうとしない豊を見兼ね、甲高く声を張り上げながら真希が彼の手首を掴む。豊はそのまま引っ張られる感覚を覚えながら、ありったけの力を振り絞り、二人は全速力で木々の合間を駆け抜けた。
 時折後ろを見遣る。
 女生徒は自分たちを追い掛ける素振りすら見せずに、その場から動くことなく、ただただこちらに顔を向けているだけだった。

その背格好で彼女が誰なのかはおおよそ判別ついていた。しかしながら日常生活においての彼女とは似ても似つかず、思考回路が一時的にショートしたのもまた事実だった。
 血走った眼は焦点が定まらず、自信に満ち溢れんばかりのいわゆるアヒル口を普段は作りあげていた唇からはだらしなく涎が零れ落ちていた。
 キツイ物言いや性格などに目を瞑りさえすれば、比較的男子生徒からも好意を持たれていたであろう風貌をしていたのに。いったい彼女はどこへ行ってしまったというのだろうか。
 顔はこちらを向いていたが、はたして彼女は豊と真希を認識していたのか、それは定かではない。あの時高久希(女子8番)は何かを抱きかかえていた様子だったが、今となってはもはや確認しようもないことだった。

【残り 二十五人】