人生における殺人の一場面

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試合開始:22

村岡鈴(女子14番)が休息を取っていたC-6エリアの森林地帯とはまた別の森林地帯が、F-2、3からG-2、3エリアにかけて存在する。その一角、F-3の雑木林に紛れるように沼沢次郎(男子10番)は身を潜めていた。
 名も知らぬ雑草が敷き詰められた地べたに胡坐をかき、隅々まで愛おしく、なめまわすように、次郎はトカレフTT-33を見つめた。感情の高ぶりを抑えきれぬまま、目と鼻の先につけなめまわすが如く、ほんの些細な箇所まで見落とし部分のないようにと眺め回す。
 齢十五にして、本来ならば禁忌とも言える殺人に手を染めた。
 ゆるぎないその事実に、次郎の感情の高揚はピークに達するまでに至っていた。それも見知った相手に対してであれば尚更であろう。
 人を殺した。「あー、アイツ、マジでぶっ殺してやりてぇ」とただ日常的に口にしているに過ぎなかった“沼沢次郎”はもういない。俺は、口だけのみみっちい男なんかじゃない。
 冷めやらぬ興奮に身を任せながら、次郎は銃口に目を向けたまま、いやに冴えた頭で思った。まさかデイパックの中で見つけた支給武器が拳銃だとは、夢にも思わなかった。いや、強い武器であればあるほど良いとは考えていたが。
 安全装置が元々備わっていないためこれまでにも暴発事故の絶えなかったトカレフTT-33であるが、そのような歴史があることなど露知らず、右瞼を閉じ、左目を凝らしながら、次郎は興味本位で銃口の中を覗き込んだ。危機意識など、欠片も存在していなかった。
 ――ここから飛び出した銃弾で、長谷部をぶっ殺したんだ。
 ――俺が、俺が撃って、それでオシマイ。
 プログラム開始直後に彼自身が命を奪った長谷部恭子(女子12番)の姿を思い返すと、今も尚、身体は歓喜に震え、自画自賛のごとく感嘆してしまう。
 クラスメイト同士殺し合い、生き残らなければこの場から逃れることは出来ない。家にも帰れない。負け、イコール、この世から自分が抹消されるということである。勝たない限り、生き残らない限り。
 軽く息を吸い、そして深く息を吐く。興奮状態は未だ冷めやらぬが、恭子に対し銃口を向けた時点で、次郎の覚悟は出来ていた。覚悟と言えば聞こえは良いが、実際のところは命を軽視した軽いものではあったのだが、今もって夢見心地に近い彼の心情からすれば、その覚悟は非常に重いものと言えた。無論、彼自身にとってに過ぎないのであるが、それはさておき。
 さあ、これからどこへ向かおうか。
 山田なんちゃらだかいう担当教官サマとやらが言っていた“禁止エリア”に関しては、出発地点のエリアに近付かなければ、現時点においてはさほど心配する点は見当たらない。一先ず森の中で形勢を整えようと試みた―と言うのは建前で、ただ単に支給武器を眺め回し、うっとり見惚れていたにすぎない―が、ならば自分はこれからどこへ行こうか。
 このまま南へ下って砂浜に出ようか。
 或いは、北上して商店街へ向かおうか。
 もしくは、東へ向かい、住宅街で片っ端からこの銃弾を撃ち込んでやろうか――
 次第に次郎の口元が綻んでいく。もう一度この拳銃を撃ってみたい。同級生目掛けて、この銃弾を撃ち込んで、撃ち込んで、そうしたら俺は――プログラムが終わった後、仲間内で“エイユウ”とやらになれるのではないだろうか。
 ゴクリと喉を鳴らし、次郎はトカレフTT-33を握る手の平に力を込めた。

次郎が力を込めてトカレフTT-33を改めて握ったとほぼ同時刻、脳天に衝撃が走ると共に、重く鈍い音が響いた。それが何を意味しているのか理解する間もなく、彼の全ての生体機能は停止し、胡坐をかいたままの状態で前のめりに倒れ込んだ。
「やめて、やめて、やめて、やめて、」
 不自然なほどに同一の単語を繰り返し呟きながら、歪にへこんだ次郎の頭頂部越しに添口彩(女子7番)が息を荒げ、焦点の定まらない瞳で物言わぬ次郎を見下ろしていた。
 殺す気なんてなかった。嘘。殺すつもりだった。だって死んじゃうもの。先に殺さないと、自分が死んじゃうもの。
 持ち手で球体を描くように胸の前で不自然に固められた腕が、小刻みに揺れる。うつ伏せで息絶えた次郎から幾らか離れた先に、ボーリングの球が転がり落ちていた。
「もうやだ、もうやだ、もうやだ、」
 瞳から零れる涙は止まるすべを知らない。彩は止めどなく流れ落ちる涙を袖でグイ、と拭う。恐怖と混乱が頭を占め、全身から力が抜け落ち、ガクンと膝が折り曲げられた。プログラム開始当初より震えが収まらない。目の前の、かつては少年だった抜け殻目掛けてボーリングの球を落としてからは、より一層震えが強まっていた。
 そこでふと、ぎこちない体勢でうつ伏せになる少年の右手に目が留まった。黒く、鈍い光を放っている――拳銃だ。
 ――まだ生きているかもしれない。そう、そうだ。止めを、止めを刺さなければ。
 頭を不自然なほどへこませている時点で少年の死は明確であると言えたが、今の彼女にそのような判断は下せなかったし、何より、それを無意識の内に言い訳にしてしまうほど、その武器はとても魅力的であった。ボーリングの球なんかよりもよっぽど殺傷能力の高いそれは、この状況下において、とても。
 殺傷能力が実際においてどれほど高いのかなど、いち中学生に過ぎない彩にとって定かではなかったが、メディアでしか情報が得られない彼女にとってみれば、プログラム内では実に有利にはたらく武器であると言えた。
 ゴクリ。生唾を喉に流し込みながら、恐る恐る、彩は次郎の右手に収まるトカレフTT-33へと手を伸ばす。既に死後硬直が始まりつつあった少年の手を慎重に解き、ようやっと目的のものを手中に収めた。
 拳銃に触れるや否や、ひんやりとした感触に鳥肌が腕一面に立ち込める。心臓が喉元まで一気に飛び上がった。しかしそんなことを気に掛けている状況ではない。早く、早く止めを。
 彼が起き上がる前に、早く。
 肌に食い込ませるくらいグリップを握り締め、銃口を少年の頭に狙いを定める。ぶれては困ると、彩は脇を締め、眼前まで拳銃を掲げた。
 ――が、そこではた、と気付く。次郎を殺そうとした直前、彼は銃口を覗いていた。あれは、何か問題でもあったのだろうか。不備を確認していたのではないだろうか。あたし、このままこれを撃っても大丈夫なのだろうか。
 一抹の不安がよぎり、彩は脇を緩めると、先刻の彼と同じく銃口を覗き込んだ。

どん、と辺りに銃声が反響したのは、それとほぼ同時だった。頭蓋骨に酷く重い衝撃が走ると同時に、彩の後方に大量の血が飛び散り、地面に浸み込んでいった。後頭部から黒ずんだ赤が、ぐちゃぐちゃの脳味噌と共に勢いよく飛び出した。
 本来ならばむせ返るような血の生臭さが鼻についていたのだが、着弾の衝撃で両の目が奇妙に飛び出した彩には全く判らないまま、彼女は空を仰ぎ、そのまま後ろに倒れ込んだ。
 彩を取り囲むように飛び散った血や脳味噌は、その後も彼女の眉間―今は原型を留めているとは言い難いが―や後頭部からゆるゆると流れ続けていた。

【残り 二十五人 / 序盤戦終了】