ぽっかり空いた
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試合開始:19
「……は?え、……何、」
なんで此処にいるの。高柳真白(男子9番)の突然の訪問に、高屋まひる(女子9番)は彼の顔を凝視しながら、しばらく言葉を失った。この家屋に籠城してから今の今まで――いや、一年前のあの日から心底焦がれていた少年の登場ではあったが、状況が状況である。自らの命を取るか、少年の命を取るか、――或いは――
「何って。どっか家に隠れようと思ってここの家の周り覗いたら窓に穴開いてたもんで、入ってきたんだわ」
戸惑いを隠しきれないまひるをよそに、真白は言葉を途切れさせることなく肩を竦めた。
「若干、穴小さかったんだけどね。ギリギリ入れそうだったから、そこは強行突破だったわ」
「何でこの家にしたの?他にも家、いっぱいあったでないかい……」
「それ言うなら、高屋だって」間髪入れず、首を傾げながら真白は続けた。「何でこの家にしたのよー。……同じような理由じゃね?」
まひるは左手に徐々に力を込めていきながらも、真白の言葉を聞いてハッとした。なるほど、確かに一理ある。
あーマジしんどい。その呟きを最後に、まひるをソファー越しに覗き込んでいた真白の頭が引っ込められた。それと同時にボスン、と音が室内に響き渡り、目の前のソファーに振動が走る。どうやらソファーへとダイブをしたらしい。
複数の意味で、まひる心臓の速度は徐々に上がり始めていた。
果たして彼は、どうだろうか。
こんな、まさか自分たちは放り込まれる訳があるまいと思い込んでいた、こんな、プログラムとやらに、参加意欲を示すのだろうか。或いは、意欲を持ってはいないのだろうか――
左手で握りしめていたソムリエナイフを、まひるは意識的に利き腕である右手へと持ち替えようとし――やめた。未だ鳴り止まない心臓を無視するかのように、そっと、スカートのポケットの中へとソムリエナイフを押し込めると、まひるは立ち上がった。
プログラムが開始されて幾ばくも経っていないとはいえ、同級生の死を間近に見たばかりである。精神的疲労が恐らく一気に溜まったのだろう。真白は右腕で顔を覆いながら、さも自宅にでもいるかのようにソファーで仰向けになったまま、唇を真一文字に閉めている。しかし、幾ら疲労困憊が予想されているとはいえ、無防備なのか、信用されているのか、そうでなければ、特に何も考えていないのか。
ソファーの背もたれに手を掛けながら、身じろぎもしない少年をまひるは見下ろした。
分校出発前に壮絶な死を遂げた安原伸行(男子14番)と乃木由依子(女子11番)の姿を忘れた訳ではない。むしろ、脳にこびり付いて、彼らの姿を思い返すだけで胃袋が逆流してしまうかのような錯覚に陥ってしまうのが現状である(いや、錯覚ではなく、実際に逆流させてしまいそうになる)。室内に充満した鉄のような臭いや、ゼリー状の、彼らの――
そこまで考え、まひるはかぶりを振った。
不謹慎であることは、はなはだ承知である。しかし、生きるか死ぬか、瀬戸際だ。いや、それこそ、そんな瀬戸際に何を考えているのだと伸行や由依子には叱られるかもしれないが、それでも。
手を伸ばせば触れられる距離に、彼はいた。
少しで良い、いっそ気付かれない程度に衣類に触れるだけでもまったく構わない。
――触れたい。
腕によって遮られることのなかった少年の唇がまひるの視界に飛び込んだ。頭の一部が熱くたぎるのが感じられた一方で、それと同時に一人の少女の面影が脳裏を過ぎった。
『うまく言えないけど、多分自分もまひると同じになったと思うなあ』
真白との交際に終止符を打った後、直ぐに春休みが始まった。春休みが開始された数日後、毎年恒例となっていた、たった二人によって行われるお泊り会を開催した夜分遅く、少女とともに布団に潜り込んだまひるは、彼女に真白との交際に終止符を打ったことを告げた。当時、誰にも――城田水穂(女子6番)にさえ告げておらず、その事実を第三者で知ったのは、彼女が初めてだった(そして、その件に関して自分が直接話をしたのは、水穂と、そして彼女だけだった。余談ではあるけれど)。そのくだりを聞き終えた少女は、困ったような笑みを浮かべながら頬を掻いた。
『自分が同じ状況だったらきっと、うまく話し掛けられないよ。幾ら付き合ってるって言っても。――いやね、まあ、ほら、中学生だしねまだ、照れちゃうもん。……まあ、言い訳かもしれないのと、あと、そんな極度に照れちゃうの、うちらだけかもだけど。あは』
思い出の中の少女は、まひるから目を逸らすことなく話し続ける。決して話し上手とはお世辞にも言い難い彼女は、彼女なりにひとつひとつ言葉を考え、そして選んでいた。
『――でも、まひるは本当にそれでいいの?……言わない後悔より、言う後悔だよ』
『聞き分け良い方が鬱陶しく思われないかもしれないけど、でも、まひるの本音は?』
『――やあ、ごめんね、偏った意見になっちゃって。でも、……みっかやっぱり、まひる贔屓だからさぁ。だって、生まれた時からの幼馴染だもん』
常日頃、比較的大人びた顔立ちにあどけなさの残る笑みを浮かべていた井田満花(女子1番)が、その日、その瞬間は申し訳なそうに儚げな笑みを浮かべたのが、やけに印象的だった。
――良くないよ。
――良くなかったよ、満花。
お泊り会以来、心配顔の彼女には申し訳なかったが、まひるは真白との付き合いに関する話は意図的に避けた。満花に限らず、周囲からもその話題に関しては触れさせないよう、実に付き合う以前の対応で、“普通”に真白と接していた。こちらが“普通”に接すると、少年もまた自身に対し“普通に”接してくれた。また再び、“仲の良い異性の友人”の関係が構築された。――でも、
「たーかやーぎくーん」
揶揄するかのように少年の苗字を呼ぶ。彼は微動だにしない。
「ねえ、……ゆっきぃ」
少年の名を呼ぶ。返答をする様子は見受けられない。若干、顔に掲げた腕がピクリと動いたような気がしたが、恐らく気のせいだろう。
――言わない後悔より、言う後悔だよ。
親友とはまた違う。同じグループに所属している訳でもない。それでも、心の置ける――まひるにとって、幼馴染とはそのような存在だった。
満花の姿が、声が、自分自身を後押ししたような気がして、まひるは唇から言葉を紡いだ。
「ずっと好きだったよ。たぶんもう、戻ることもないと思うけれど」
そして、今も変わらず好きだよ。その言葉だけは、喉を伝う前に飲み込んだ。なぜだろうか、そうしなければいけないと思った。
まひるが再び口を閉じると、室内は静まり返った。まひる、真白、双方の息遣いさえどちらの耳にも届かなかった。
真白は腕を顔に掲げ、仰向けになったままだった。
まひるもまた、真白を見下ろし、じっと彼を見据えたままだった。
カチ、カチ、カチ。
居間に掲げられたアナログ時計の秒針だけが、規則正しく音を発していた。
頭から血の気が引いていくのを感じながらも、まひるは少年から視線を逸らすことはなかった。時間だけが休みなく過ぎていく。まひるが一瞬時計を見遣ると、四時三十八分を示していた時計も、今や、一番の背高のっぽの針が数字の九を指していた。
と、その拍子に、手首に衝撃が走った。心臓が瞬時に跳ね上がる。
少しずつ朝日が差し込んできたとはいえ未だ薄暗い中、衝撃の走った左手首を見遣る。
まるで固定されているかのように動かないそこには、起き上がり、確りとまひるの手首を掴んでいる真白の姿があった。
「俺もずっと好きだった。でも、まひるとはたぶん、意味が違うと思う。そういった、たぶん違う意味では、今も好きだ。だから、」
少し考えた後、ややあって、真白はまひるを見据えながら続けた。真白の瞳には、迷いと言うものは感じられず、まっすぐにまひるを見ていた。
「ワリ、戻るとかはないと思う、ぜったい」
【残り 二十八人】