繋いだ手

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試合開始:16

ひとつ、ふたつ、みっつ。右の人差し指で、左の親指から順にひとつずつ折っていく。よっつ、いつつ。小指を折り畳んだところで、折り込んだ左の指と手の平との隙間に右の人差し指を潜り込ませ、そうしてまたひとつずつ、今度は開かせていった。
 先ほどからこれの繰り返し。お湯を注いで三分経過、カップラーメンを食べても良いくらいには時間は過ぎたろう。
「……」
 幾度目だろうか、指を折り畳み終えると今度はそれを開かせることなく、うつろな目で表に向けられた指先を見つめた。爪先に赤錆色がこびり付いている。先刻もう片方の手の爪先で穿り出そうと試みたが、どうにも完全には除去しきれなかったらしい。
 何を思ったか、少年はそれを顔に近づけた。――ああ、鉄のような臭いがする。これは、紛れもなく、彼の、――。

遺体を初めて触ったのは幼少時、祖父が老衰で息を引き取った時のことだった。病院の白いベッドに横になる祖父の頬に手を伸ばすと、肌のぬくもりはとうに失せており、ひんやりとしたその感触に驚きを隠せなかったものだ。今後身内が亡くなる度に遺体に触れるのだろうという覚悟は幼いながらも理解出来てはいたが、まさか、身内以外の――それもクラスメイトの遺体に手を伸ばすことになるとは、誰が予想したろう。
 後ろめたさが胸の奥で引っ掛かったまま、解けない。
 生前の面影などまるでなかった。否、そもそも面影を確認するための顔が、本来首から上にあるものが、胴体から引き千切れてそこらを転がっていたので、面影も何もなかっただろう。
 それは兎にも角にも、自分は、その遺体を押しのけて、そして――
 C-3エリアの森林の一角、木の脇に腰掛けていた少年の懐に置かれていたデイパックのすぐ傍ら、二つ目のデイパックが、彼を責め立てるようにその存在を露わにしていた。
「――ああ、ダメだわ。全然役に立たない。何これ、カシスリキュール?……お酒じゃん」
 罪の意識に苛まれる少年の隣りでは、支給武器である短機関銃――イングラムM11を肩に掛けながら、しゃがみ込む少女が彼女のデイパックのすぐ隣に置いていたもうひとつのデイパックを物色していた。
 この場にあるデイパックは四つ。内二つは少年と少女それぞれが政府により支給されたものであるが、残り二つはそうではなかった。前者二つが受け取った時と姿かたちに変化が見られないのに対し、後者二つは明らかに異なっている。老竹色をしたデイパック本来の色を遮るかのように、べっとりとした赤錆色がデイパックのあちらこちらに染み渡っており、傷一つ見当たらない少年と少女のものではないという事は明白だった。
「光、あんたはとりあえず自分の武器が何か調べなって。丸腰だったら、今ここで誰か来ても応戦出来ないよ」
 視線を手元のデイパックへと向けたまま、北上涼(女子3番)は立ち上がる。先ほど口にしていたカシスリキュールを彼女自身のデイパックへと突っ込むと、そのまま何か考え込むように唇に手を添えた。しかしそれも束の間のことに過ぎず、意を決したかのように再度しゃがみ込むと、つい今しがた物色していたデイパックに改めて手を掛け、中から飲食料を取り出しにかかった。取り出した品々を自身のデイパックへと移し替えている様子を見るに、どうやら荷物をひとつに纏めているらしい。その手際の良さは目を見張るものがあり、涼はものの数分も掛からずにその作業を終えていた。
「……いいよ、もう。私が見とくから。ちょっとそこで待ってて」
 涼のすぐ傍で不動のまま呆けている宇佐美光(男子2番)を見下げながら、彼女は少年のデイパックに手を伸ばした。

――彼が滅入るのも無理はない。飲食料に埋もれていて中々姿を現さない少年の支給武器を探りながら、涼はチラ、と光に目を遣った。
 今涼が弄っているデイパックは元々光に支給されたものであるし、彼女の肩にスリングで吊っている短機関銃イングラムM11が入っていたデイパックは涼に支給されたものだ。しかし残り二つ、この場に存在しているデイパックは彼女たちの支給品ではない。プログラムが開始され分校を出発した直後、校門付近にて転がっていた二つの首無し死体――その数メートル先に頭部が転がっていたので、その死体が若月直幸(男子17番)湯浅まりな(女子16番)のものだという事が判別出来た――がそれぞれ肩に掛けていたり、胴体の下に押し潰していたものだった。
 その二人が出発した後から涼と光が合流するまでの間には、渡部加代子(女子17番)赤石武也(男子1番)井田満花(女子1番)河口亜由子(女子2番)、そして小野佑一(男子3番)の計五名が恐らくその場に遭遇した筈だったが、その間彼らのデイパックに手を掛けるものは一人もいなかった。
 首無し死体に触りながら除けてまでデイパックに手を伸ばしたくはなかったのだろうか。誰もが一中学生に過ぎないので、全うな感覚を持っているならばそれも無理はないだろう。
 ――全うな感覚か。
 自嘲的に鼻で笑いながら、涼はそのまま探索を続ける。それから数秒も経たないうちに、飲食料とはまた別の、ゴツゴツとした無機質な感触が手の平越しに伝わった。
「光」
 そのままそれを引っ掴むと、光へと放り投げた。弧を描いて彼の手元に収まったそれは、彼の手の平に収まるほどの大きさの、携帯型ハンディータイプのスタンガンだった。
「涼、これ……」
「スタンガン。あんたのデイパックの中に入ってた、多分それが支給武器じゃない?それらしい物は他に見当たらなかったし」
 少年のデイパックのジッパーを閉めると、今度はその傍らにあるデイパックの物色へと取り掛かった。「それ、確り持っておきなよ」光に目を向けることなく口を開く。「私の、これ、イングラムM11であんたのことは守れるけど、万が一のことがあったら、あんたそれで自分のこと守りなよ」
 はっきりそう告げると、再びデイパック内の物色に意識を向ける。水や食料は光のデイパックにも移動させよう。地図はそれぞれ持っているから余分な物は必要ないだろう。あとは、
「……はっ、マジ信じらんない」
 厭きれた。手に取る気も失せるそれは、紛れもなくゲームボーイだった。この命を懸けた場所に似つかわしくない、至って普通の、小中学生から大人まで皆が夢中になっているあの、ゲームボーイである。
 見なかったことにしよう。私は何も見ていない。こんなのが若月の支給武器だったなんてことは、胸の内に留めてやることにしよう。
 ゲームボーイをそっとデイパックの奥へと押しやると、粗方荷物をまとめ終えたので、涼は光の右隣へと腰掛けた。彼女の左腕に巻き付けられている時計がシャラ、と音を立てながら地面と擦れる。その針は時間が午前五時十分前であることを告げていた。

二人が並んでどれほどの時間が過ぎたろう。時間にして換算すれば、恐らくは一分も経ってはいないだろうが、少年にとっては永遠に匹敵するほどの長い時間に感じられた。すぐ隣にあった手の上に、そっと自分の手の平を重ねてみる。触れた先から熱がじんわりと広がってくるのは、今が初夏へと差し掛かっている時期からだろうか。
「――何」
 そっけない呟きが、涼の唇から漏れた。
「何でもない。よく繋いでたじゃん」
「それいつの話」
「――小学校低学年?」
 阿呆らし、そう呟きながらも涼が光の手を払いのけることはなかった。彼女なりの肯定であると判断し、ぼんやりと前を見据えたまま、手の平を重ね続けた。
 早朝五時前ということもあり、日も昇りはじめ、木々の隙間を縫って光が差し込まれていく。一夜にして物騒な戦場と化した島だというにも関わらず、平和なひと時を送れとでも言うかのように、チュンチュンと雀の鳴き声が耳に届いた。束の間の平和と言うべきか、――或いは嵐の前の静けさと言うべきか。

一見日常生活における早朝の姿と変わらず、錯覚してしまいそうになるが、もう既に人の、クラスメイトの死体を見ている。四人もの死体を、だ。二人は出発前に担当教官によって葬られたが、残り二名はそうではない。紛れもない、あれは他殺体である。クラスメイトに手を掛ける人間がいる中で、自分たちはこれからどう行動していこうか。
「なあ、りょ――」
 少年が少女に問おうと口を開こうとしたまさにその時、前触れも何もなく、後方からくぐもった破裂音が響き渡った。

【残り 二十九人】