声は届かず、刻まず、知られない
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試合開始:08
「ああああああああああああああ」
誰のものなのか、それは定かではない。 だがしかしひとつの悲鳴を皮切りに、瞬く間に悲鳴のコーラスを室内に響かせることとなった。
「静かに、はい皆さん、静かにー。静粛になさってくださーい」
そんな高らかに響き渡るコーラスの合間を掻い潜るも、本当に静かにさせようという気があるのだろうか、山田太郎は軽く手を叩き呼びかけるだけで、 コーラスの終わりは、到底見える気配もなかった。
プログラム――正式名称、大東亜共和国戦闘実験第六十八番プログラム。全国各地の中学校からランダムに選出した三年生の学級内で級友同士を戦わせ、たった一人になるまで互いを殺し合わせるという、我が大東亜共和国専守防衛陸軍が防衛上の必要から行っているとされる戦闘シュミレーション。
対象年齢は中学校三年生に当たる児童だが、その壮絶な内容から小学生、物覚えの早い子どもであれば小学校入学以前よりその存在を把握している法律のひとつである。愛国心の高い人種とそうでない人種が国内に入り乱れている今日、街中で政府の目が光っていることもあり公には口にすることはないが、この年代であれば大抵の人間の脳裏に、その存在が日々陰りを与えているに違いない。
ゴクリ。悲鳴の渦の中、ひとり静かに息を飲むと、乃木由依子(のぎ・ゆいこ/女子11番)は額に流れる冷や汗に手を伸ばした。 滲み出る汗の量は、もはや尋常ではない。湧き出、止まる事を知らない汗を一先ず拭い去り、――由依子は思い出したかのように息を吐いた。けたたましい罵声も、悲鳴も、今の彼女の耳に入ってくることはない。どうしよう、私死んじゃう。 県内トップの高校に入って、大学入るために上京して、安定している会社に入社して、結婚はするけど会社は辞めないで、育児休暇を取るの。そんな人生設計があったのよ、私。
由依子には県内トップを誇る頭脳の持ち主という肩書があるのだが、今このような状況ではその肩書に意味など、全くもって無きに等しかった。
子どもは二人なのよ、上が女の子で、下は男の子。女の子は父親に似ると幸せになれるって聞くから、
「……武也に……似るといいよね……?」
ぐりんと首を回し、赤石武也(あかいし・たけなり/男子1番)の方を見遣る。 ぎょっとする彼の姿は目に留まらない。焦点の定まらない彼女の瞳に映るのは、最愛の恋人の在りし日の笑み、それだけだった。可笑しい、汗を掻いた辺りの私と今の私、何かが違わない?まあ、いっか。そんなの。別に大したことじゃないよね。ふふっ。
何が自分に似ると良いのか、そして見るからに錯乱している彼女を見、唖然とするも、武也が口を開こうとし、
「なあ、橋本先生は?新しい担任ってどういうことだよ」
――恐らくは由依子と、そう発したのだけれど、 その声は彼女に届くことも周囲に響くこともなく、柳太助(やなぎ・たすけ/男子15番)の声によって掻き消された。
「はっ。橋本先生?」
歪んだ。気付く者は気付くだろうし、気付かぬ者はまさに今この時も気付かぬままだったが、 判るものが見れば山田太郎の目元に変化が表れたのが見て取れただろう。 心底楽しげに、それでいて然も可笑しいとでも目で伝えるように、彼は鼻で笑いながらも教員の行方を辛辣に話した。
「あの人なら帰りましたよ。薄情っちゃ薄情ですよね、一目散に逃げるように帰りましたもん。君たちが今から我が大東亜共和国の栄えある戦闘実験に協力して下さるというのに。ははは。……そうそう、だから僕、君たちの新しい担任になったので。ほら、担任がいなかったら駄目じゃないですか、やっぱり。まあ、よろしくお願いします」
どなたか一人を除いたら短い間ですけど。最後にそう付け加えた時には、彼は先ほどと変わらぬ笑みを零していた。
「そうすか」
太助が音もなく着席する。
静かだった。先ほどまでの騒音が嘘であったかのようなほど、室内は静けさに満ちていた。勿論誰一人としてこの状況に慣れたからという訳ではなく、大半のものが事態の大きさに自身の脳味噌だけでは把握し切れていないからといっても過言ではないだろう。
静かだった。しかしその静寂を破ったのは、唯一人の生徒の怒声だった。
「ざけんじゃねーよ!何で俺らなんだっつーんだよ、このクソ餓鬼!」
安原伸行(男子13番)は座席から立ち上がるや否や、満足げな笑みを浮かべ教卓に佇むに山田太郎に対し、遠慮なく罵声を上げた。
「糞餓鬼はどっちだっつーんだよ」
罵声を境に太郎の目の色が変わる。あとはもう、あっという間だった。
パン!という弾ける音がひとつ、そしてゴン!という鈍い音が、ふたつ。それは、どちらも一瞬のことに過ぎない。
「いやあああああああ!人殺しいいいい!」
「伸行いいいい!」
これまでの静寂は何処へやら、一斉にして悲鳴の渦が再び世に現れる。六十八、いやそれ以上の瞳が全て同じ箇所へと向けられた。椅子に折り重なるように伸行が崩れ果てる姿は、その場にいる生徒らの脳裏に熱く焼き付くことになる。眉間にはポツンと赤黒い穴が。顔は天井を向いている為にそれを見る人間はいなかったが、後頭部には眉間の穴とは比べ物にならない程の穴が広がり――実物を見たことのない中学生等も、 そこから流れ出るものが普段頭部に収められているものだという事は、容易に把握できた。
もう誰も、口を開かなかった。中には込み上げる嘔吐感に堪え切れないものもいたが、それだけだった。
「由依子」
唯ひとり口を開いた武也の視線の先には、彼の最愛の恋人の姿があったのだけれど、名を呼ぶばかりだった。 太郎の手元に収められた銃によって放たれた弾は伸行の眉間をしっかりと捉え、いとも容易く彼の命を奪ったけれど、それだけでは飽き足らず、彼の右斜め後部座席に腰を下ろしていた由依子の眉間をも捉えていた。
「由依子」
それっきりだった。もう、口を開かなかった。
【残り 三十二人】