落下星

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試合開始:01

一日深い深い眠りから目を覚まし、欠伸を1つ。 精密機械のようとまではいかないものの、規則ただしく布団から起き上がりクローゼットへと向かう。
 朝は苦手ではない、むしろ好きなくらいだ。
 ハンガーから外し、学生服に身を包む。一瞬ふわりと鼻腔につくのはクローゼットの香りだ。 木材をふんだんに使ったクローゼットのほのかな香り。 はぁ、癒されるなあとしみじみ感じながらふと何かを思い立ち、彼は机の上へと目を向けた。 ごちゃごちゃと教科書や単行本、スナック菓子の袋の残骸など様々な物がばら撒かれた机の上の中心に、 唯一綺麗に片付けられているスペースが存在していた。 そのさらに中央にはまるで自らの存在を主張しているかのように、ポツンと小さな箱が置いてあった。
 掌に乗るくらいの些細なものに過ぎなかったけれど、小さな箱は澄み切った空の色の包装紙と秋桜のような鮮やかなピンク色をしたリボンによって包まれていた。 それはどうやら店の店員が包んだのではなく自己流で包んだらしく、お世辞にも「綺麗に包まれていますね」とは言いがたかった。 しかし少年はその包みを見て心底満足気な表情を浮かべた。

「あー、くそ!今日最下位かよー、ちくしょーもー!」
 部屋を出た後、すぐさま居間に行き朝食を食べる。 結構な量ではあったがお腹と背中が互いにくっつき合いそうだったのであっさりと完食できた。
 平凡な、至って普通どおりの生活。少々、いや、かなり空がどんよりと曇っているのが気になりつつも。 おかしい、朝カーテンを開いた時は確かに晴れていたはずなのに。
 窓の向こうの曇り空とにらめっこをし――やめた。 窓の外で近所に住むお節介で有名な野沢さんが不思議そうな顔をしながらこちらを見ていた。 何しているのかしら、あそこの家の息子さん。ちょっと気味が悪いわ。 そう言いたげに幾度なくこちらをちらちらと見る。次第にその回数が、頻繁になってくる。 目が一瞬合ってしまったので、慌てて直ぐ逸らした。
 野沢さんの視線から逃れるためにデザートのバナナを口に含みながら急いで椅子から立ち上がる。 ちょうど良いタイミングでテレビから毎朝恒例となっている星座占いが始まったのもあり、急いでテレビの前へと足を運んだ。 毎朝の事ながら、どきどきと胸を高鳴らせてしまうのは、多少なりとも期待をしているからに過ぎない。 が、しかしそれでも日課となりつつある今日、女の子のようだという考えは捨て去ってしまおう。
 さて、今日の運勢は何位だろうか。

――そして、結果がこれだった。どうしたことか、今日に限って最下位ときた。
 どうしたものだろう、天気は悪くなる、加えて運勢も悪いときた。 こんな時は大好きな牛乳の一気飲みに限る。 憂さ晴らしだ。がぶ飲みのひとつでもしてやろうか、いやはや全く。
 半ばヤケクソになりながら真堀豊(まほり・ゆたか/山形県遊佐町立花笠中学校三年A組男子12番)はテレビから遠ざかり、彼を待つ牛乳の居所、冷蔵庫へと向かった。 直ぐ傍、台所では母が既に茶碗洗いを始めている。 「あら豊、牛乳飲むの?」
「ん。占い最下位だったしさぁ、まじ最悪だし!ありえねぇし!」
 ブツブツと独り言のように文句を言いながら豊は冷蔵庫に手をかけた、が。
「ぁあ!?超ありえねぇ、ねーじゃんか、マイミルク!ちょっと待て、どこ行った!?」
 目的だったはずの牛乳が消えていた。跡形もなく、忽然と。 どこを探しても、いくら探しても見当たらない。昨日までは確かにあったはずだった。 母親にも「期限近いし早く飲んじゃってね」と昨夜言われたばかりだった。一体、どこに――
「あー。お兄ちゃん、どうしたの?」
 非常に困っている矢先、ちょうど妹の旭の声がした。たぶん、後ろにいるだろう。ナイスタイミング。 今の状況は猫の手も借りたい気分だった、これは彼女にも手伝ってもらうしかないだろう。 冷蔵庫の中を手探りで確認しつつ、振り向かずに後ろにいるはずの旭へと問いかけた。
「なー旭……お前さ俺の大好きな牛乳、どこにあるか……」
「あー!ごめんねお兄ちゃん。それさっき飲んじゃったよ旭。一気飲みで」
 ……え?……ごめんな旭、お兄ちゃん何か耳が悪くなっちゃったみたいだよ。 旭がマイミルクを飲んだとか言ってるし。しかもたった今まさに俺がしようとしてた、一気飲みで。 うん、こんな阿呆な話ある筈がないと一人納得しながら、豊は首を振る。 恐ろしい事実を振り払おうと、彼は必死だった。
 しかし、それでも現実というものは非情以外の何ものでもなかった。
「ごめんねお兄ちゃん。今日学校終わったら買ってくるから許して? だって旭、まだ小学3年生だよ?もっと身長伸ばさなきゃ……ねぇ? それにさ、牛乳パックにお兄ちゃんの名前書いてなかったじゃない。 旭の物は旭の物、家族の物も旭の物でしょ。……うん、そうだよ。旭が悪いわけじゃないよね!」
 反省の色など皆無と言わんばかりに捲くし立てる少女には、開き直りと言う言葉が当てはまるかのようだった。
 何なんだコイツは。嗚呼、神よ!僕は何かあなたに対して悪さをしたというのでしょうか? 何故、何故神は俺に不幸を与えるのですか。しかも今日に集中して! 肩を落としてうなだれながら、空っぽになった冷蔵庫を再度見渡した。 こんなことをしても牛乳は、戻ってこない。それが豊の喪失感を倍増させていた。
 爽やかな天気が何時の間にかどんよりしている、運勢も最悪、おまけに牛乳が妹に横取りされて、さらに自分は悪くないと言う。 今日という一日の始まりが、何か不吉なように思えた。
 あ、とふと何かを思い出したかのようにくるりとその場を半回転しながら、旭が声を掛けた。
「ちょっとお兄ちゃん!ところで旭の誕生日プレゼントはぁー?子供の日だったのにさ……もう一ヶ月経ったよー!」
 口をアヒルのように尖がらせながら旭が地団太を踏んだ。 全く、そんな風だから近所に住む敦志くんと花ちゃんに子ども扱いをされるんだ。 ――いや、されていない。そういえばむしろ逆だった気がする。 そうだ、こんな旭のような子供がさらに子ども扱いをするという兵がいるのだ。 一体全体、現代社会はどうなっているんだろうか。頭がほんの僅か、貧血気味に景色が歪んだ。
 しかし――それでも、可愛いものは可愛いのだ。とてもとても大切な存在。 シスターコンプレックス?ははははは、そんなものむしろ大歓迎だ! シスコンと言われようと何だろうと、幾らでも構わない。 豊にとって旭は、例えれば目に入れても痛くない程の可愛さだった。 つまりは、彼は彼女を溺愛しているということになるだろう。 一見そうとは見えないところもあるが、それでも事実、そうだった。
「あーもう、俺の机の上にあるって!ちゃんとある!買ったから!」
「ほんとー?」
「……兄ちゃん帰ってくるまで開けるなよ?」
「うん!わかった!」
 無邪気に笑みを浮かべ「お兄ちゃん大好きー!」と現金な事を言いながら、次の瞬間豊の腕には旭がくっついていた。 例え現金だろうとも、例えその場限りのことに過ぎなくても。やっぱり妹というものは可愛いものだ。 友人で妹なんてクソ喰らえなどと言う輩がいるが、そいつの気持ちが測り知れない。
 兄と妹って、兄弟の中で一番良い組み合わせだなあ。幸せが湧き上がってきた。

そんな幸せ真っ只中、あれ、と思いテレビへと目を向けた。午前八時二十分。 何だ、何時の間にそんなに時間が経っていたんだ?朝起きたのは、七時くらいだったのに。 もう一時間以上経ってるのか。そこまで考えると、豊は背筋が凍りついた。
 現在、午前八時二十分。
 学校までの時間は約十五分。
 鐘が鳴るのもあと十五分、八時三十五分。
「…っ、うっわ、やっべー!まじやべぇ!遅刻だー!今日厄日かよ、俺!つーか旭!何でお前のんびりしてんだよ!?お前につられたべ!」
「今日は学校ねー、創立記念日でお休みなのー」
 椅子にゆったりと座りのん気に受け答えをする旭の声も聞かず、豊は鞄を引っ掴み玄関へと走った。 しまった、便所行くの忘れてた!でも仕方がない、学校に着いたら便所に直行するしかない。
 今はただ――遅刻か、間に合うか。それだけだ。
 焦る豊とは裏腹に、母親と旭はのんびりと玄関まで見送りに来た。 ちょうど豊が慌てて靴紐を結んでいる最中のことだった。
「お兄ちゃん行ってらっしゃーい」
「豊、秋くんに借りた本は持ったの?」
 こっちは急いでいるというのに、何なのだろうこの母子は。 のんびりゆったりとした姿を自分に見せ付けているつもりなのか?そうなのか?
 思考回路が悪循環になっている。先ほど同様、再度頭を左右に振り、慌てて立ち上がった。
「あー、持った持った!んじゃあ行ってきまーす!旭、開けるなよ!」
「はぁーい。いってらっしゃーい」
 玄関の外へと豊の姿が消えるまで母子は手を振り続けた。 彼によって勢いよく放たれた扉が再び閉じて、母子もその奥へと姿を消した。

豊が家を出て、彼の妹である旭が二度寝をするのが目的で自分の部屋へ戻っていった後、豊の母親――因みに名前を美津子と言う――はのん気に鼻歌を歌いながら茶碗洗いに没頭していた。 ふんふんと得意の鼻歌を口ずさみながら次々と茶碗を洗っていく。 鼻歌を歌っていれば、気付くとみるみるうちに洗いものが減っていっているのがわかる。 今日はいつもよりも調子が良い。洗いものも、鼻歌も。
 しかし途中急に。そう、急に背中に悪寒が勢いよく走り、彼女は調子良く洗っていた茶碗を一つ落としてしまった。 のんびり「あら、大変」と呟きながら、床へと落としてしまった茶碗を拾い上げにかかる。
 豊のだ。
 だが不思議と、茶碗は割れてはいなかった。ヒビ一つ、入っていなかった。
「あらやだ、悪寒と言いお茶碗と言い…何かの前兆かしら?うーん……ま、いっか。豊のだし。それに割れてないし」
 美津子は何事もなかったかのようにまた鼻歌を歌い、再び茶碗洗いに取り掛かった。 エプロンのポケットの中に入っている彼女の腕時計の針の秒針がチッ、チッ、と小さく音を立てながら、九時十四分を示していた。
 鼻歌を終えると同時にタイミングよく、自宅前に車が一台止まったのが目に付いた。
 皮肉にも、彼女の予感は当たることになる。