振り返れない

[ 生徒名簿画像ver) ] [ 会場地図 ] [ 現状一覧画像 ] [ ネタバレ生徒資料 ] [ TOP ]


試合開始:12

丸々としたシルエットが、月明かりによって砂利道に浮かび上がる。道は均されておらず、どうにも走り難い。
 溜まりに溜まった腹部の脂肪分を上へ下へと揺さぶりながら、少年は身体を内側から焼き尽くされるような感覚を覚えた。――ミディアムにしますか、それともレア?こんがり丸々と焼けた子豚ちゃんはとっても美味しいですよ、おひとついかが?切り分けますか、それともこのままお召し上がりますか――
 勢い余って前方につんのめりながらも、少年は闇雲に砂利道を走り抜けた。彼の手の平は空を掴む。私物の鞄や支給された筈のデイパックの代りに月を背負い、息も絶え絶えに、彼は一心不乱に走り込んだ。
「ぜはぁっ……はっ……ぜぇ……はぁっ……」
 時を遡ること十数分前、教卓の前に立ちそびえていた山田太郎は、分校が地図上のどのエリアに属しているのか公に晒さないままプログラムを開始してしまったが、この場が“学校”であることは明白であったため、誰もその考えに至ることはなかった。果たして此処は何処なのだろうか、と。
 そこはE-5エリアに属する会場内唯一の中学校だった。山田太郎がその事を口にすることがなかったのは、果たして故意的なものであるか、いやはやそうではないのか、それは彼自身にしかわからないことではあるのだが、それはまあ、ともあれ。
 現在少年が走り回っているのは、エリアでいうところのE-6。中学校のあるエリアに隣接する位置にあった。本来身体を動かすことを苦とするためにこれといって何の部活にも所属していなかった少年であるから、日頃の運動不足がたたり、だらしなく開かれた口元からはか細い息がヒューヒューと漏れるばかりだった。出発地点から然程離れていない距離間しか走っていないにも関わらず、である。
 頭が半分なかった。何か出てた。右目飛び出してた。死んだ?死んだ。頭半分なかった。死んでた。倒れてた。うっそだあ、ほんとに?死体?プログラム?僕もあれになるの?頭なくなる?プログラム?死ぬの?
 ――死ぬ!

先刻からひっきりなしに彼の脳内を占めていたのは、玄関口を出て右折した先の校舎の影、そこで目にしたひとつの死体だった。
 力なく伸びた手は空をも掴まず四方に投げ出されており、倒れた時の衝撃だろうか、ルーズソックスは土埃にまみれ、左右それぞれふくらはぎ、足首の辺りまでずれ落ちていた。長くすらりと伸びた手足に所々傷が生じていたのだが、そんなものは目に入らなかった。
 頭は左半分無くなっており、残された右側からも眼球が飛び出していた。双方共に銃弾によるものだったが、そのような事実を少年は知らない。生前ははつらつとし、比較的容姿に恵まれていた部類に入るだろう身体の持ち主の姿は、どう足掻いたところでその姿は見る影もなかった。
 崩れ落ちるように転がっていた死体が元は長谷部恭子(女子12番)だと言うことに気付く前に、ピンと張りつめていた少年の神経は、音を立てることなく静かに切れていた。その拍子に地面に落とした私物の鞄も、デイパックさえも拾い上げることなく、次の瞬間彼は走りだしていた。もう二度と光を帯びない右目だけが、置き去りにされた荷物を見つめていた。

「……長谷部?だよな、これ……」
 数分後、少年の私物を手に取った吉岡良太(男子16番)に対して柳太助(男子15番)が投げ掛けた言葉は、彼の耳に届くことはなかった。どこをどう見ようと、明らかに死んでいる。葬儀場で見るような、綺麗に整えられたそれではなく、初めて目にする他殺体。頭の一部が消失している人間を見る機会など、一体いつあるというのか。大東亜国民向けに作られた戦争映画でも、こうはなっていなかった筈だ。頭に銃を向けられ、鉛玉をぶち込まれる。額にポツリと穴が空き、崩れ落ちる。こんな、目玉が飛び出たり、頭が欠けるなんて、そんな映像はひとつもなかった筈だ。玄関の脇で自身の次に出発となった、比較的交流のある弥生夏実(女子15番)と、そしてその二分後に姿を現した従弟である良太と合流し、一先ずは身を隠そうと校舎の影へと潜もうとした――そんな矢先の出来事だった。
「あれ、何か……鞄?落ちてね?」
 良太が前方を指し、「誰んだろ、拾ってくるわー」と言い残して小走りに駆けたのを見届けながら、これから先ずはどこに向かおうかと口にしようとするも、ドサリと何かが落ちた音によってそれは遮られた。夏実に向けていた顔を進行方向へと戻すと、誰かの私物であろう鞄を手にした良太が、もうひとつあったらしい荷物――恐らく姿形から見るに、各々に支給されたデイパックだろう――を落とした姿が目に入った。
「ちょっと吉岡、どうしたの。何さ、それ、重かった?」
 夏実の問い掛けに、良太はピクリとも反応を示さない。蝋人形のように身体が固まっているようだった。ちょうど曲がり角の先の見える位置で彼は足を動かすという行為を止めてしまったらしい。背はこちらに向けているものの、顔はその先へと向けられていた。何がどうしたのか、落ち着きがなく常に忙しなく動いている筈の彼は、全くもって動き出す気配すらなかった。まるで無視を決め込んでいるかのような良太に対し夏実は顔をしかめ、並んで歩いていた太助など放置するかのように良太に駆け寄った。「ちょっと、良――」
「――太、……」
 良太の左肩に触れ、彼の顔を覗き込もうとするや否や夏実の顔が強張ったのが、遠目であれ太助にも把握出来た。見る見る内に二人の顔が青ざめていく。これはどうやらただ事ではないと――そもそもこの状況下が既にただ事ではないのだが――、太助は足早に走り寄った。
「どうした、」
 瞬間、血の気が失せるとはこういうことを言うのだろうなと、そんな考えが太助の頭を過ぎった。
「……長谷部?だよな、これ……」
 一人確認するように、先に惨状を目の当たりにした二人に言葉を投げ掛ける。一番乗りで事態に出くわしてしまった良太は、手を震わすだけで何も示さない。十数秒後、夏実がようやく、
「うん、恭子だ」
 と口にするまで、三人は恭子の亡骸から視線を逸らすことが出来なかった。
「……とりあえずよ、移動するべ。次、……弥生の次に出発すんのって確か、湯浅だろ?――悪いけど、俺、あいつ、無理」
 見るに堪えない現状から目を背け、太助は良太の落とした持ち主のわからないデイパックを拾い上げる。確かにそろそろ良い時間だ、恐らくもう一分も経たないうちに湯浅まりな(女子16番)が切り詰めたスカートを翻しながらその姿を現すに違いないことは明らかだろう。「うん」おぼつかない様子ではあったが夏実もまた、恭子に背を向ける。
「――とりあえず、住宅街とか、どっか建物の中、入ろっか……地図、地図……」
「――良太」
 肩を軽く叩いた後、太助が両の手でその肩を揺さぶるまで、良太は恭子から目を離さなかった。否、揺さぶり、反応を示した後も、その目は彼女を捉えたままだった。
「良太、湯浅が出てくる、行くぞ!」
「――俺らも、」
 そこでようやく太助に視線を向けた良太は、小さく零すように、しかしはっきりと、口を濁すことなく呟いた。
「俺らも、ああなんの?……な、太助、俺らもいつかは、ああなんの?」
 確りと目を見つめながらも、太助は二の句が告げなかった。何とも言えずに苦渋の表情を浮かべ良太に背を向けると、「行くぞ」と彼の腕を掴み、先に歩きだしていた夏実の後を追った。良太の一歩先を行くかのように進んでいるため、彼が今どのような表情を浮かべているのか、太助が知ることはなかった。あるいは、彼の様子から目を背けたと言う方が正しいのかもしれない。
 落ち着いた先で、良太のケアをすれば良い。まりなと鉢合わせてしまうことは避けなければ。口先の理由など幾らでも挙げられる。今はただ、この場から離れたかった。

太助が口にしたとおり、一分と経たずして玄関扉にまりなの顔がひょっこりと映し出された。果たして、彼女が左右を確認した際、誰の姿をも確認することはなかった。

【残り 三十一人】