形を失くす余韻

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試合開始:13

人間、頭がパンクし弾け飛びそうになろうとも、無意識の内に身体は動くものなのだということが改めて今日理解出来たような気がした。無論、その言葉のとおり“気がした”だけに過ぎないので、恐らく自分自身把握した気になっているだけだろう。しかし、そんなこと今はどうだっていい。今はそんなことよりも、目の前にある事実だけが、湯浅まりな(女子16番)の頭を痛めていた。
 右向け、右。……目標確認なし。
 左向け、左。……目標確認なし。
 こんなにも心臓が暴れまわっているのは人生十五年、生まれてこのかた初めてかもしれない。左胸を押さえつけるように手を当てながら、建物の玄関扉に伸ばした右腕にそろりそろりと力を込める。まりながおっかなびっくり隙間から顔を出し左右を確認すると、そこにはただ、静寂があるだけだった。
 まりなが出発したのは、三十四人いる級友の内(出発云々以前に既に二名ほど亡くなっていたけれど、それはさておき)二十一番目という、大半の生徒の姿が見受けられなくなった後のことだった。元来自分の都合の良いように物事を処理しがちだったこともあり、途中銃声のような音も聞こえたのだが、誰か一人は玄関口、あるいは何処かで「まりな!」と、自身を迎えてくれるだろうと、そう信じて疑わないまま、兵士たちの取り巻く間を悠々と通り過ぎて行く。
 だが、一歩、また一歩と教室から離れるごとに、彼女の心音の速度は確実に上昇していった。いつにも増して口内に唾液が溜まる。コクリ、コクリと音を立てて飲み込みながら、肩に掛けたデイパックを確りと握り締めた。飲み込めど飲み込めど、湧き出るように溜まる唾液を幾度なく喉に通しながら、ゆっくり、しかし着実に第一の目的地へと歩を進めていく。次第にスローモーションになるその足取りは、比例するかのように重かった。

「――ね、鈴、いないの?……柳、吉岡ぁー?」
 扉の隙間から顔を覗かせたまま、まりなはひそやかに声を漏らした。
 他クラスのコギャル仲間から「アイツ、結構イケてねぇ?てか、チョベリグ、みたいな?」と持てはやされていた柳太助(男子15番)や、そのおこぼれで多少なり持てはやされていた(かのように見えた、こちらから見れば)吉岡良太(男子16番)が出発した筈だ、自分の出発する直前に。出発時間はたかだか二、三分程度の差であった筈なのに、なぜ彼らはここにいないのか。
 どうにも解せぬとでも言うかのようにその場にしゃがみ込んだかと思えば、まりなは足を投げ出した。
「マジ本当、何で誰もいない訳ぇー。チョベリバぁー……ってかぁ、鈴とか超ありえんてぃーなんですけどぉー。も、マジ死んで欲しいんだけど。あー超エムエム……」
 常に行動を共にしていた村岡鈴(女子14番)ですら、いつものようにその頭をもたげさせながら待っている姿を現す様子を見せることはなかった。「まりな、おっそーい。アタシ超待ちくたびれたあー」と文句を垂れながら待っているに違いなかったのに、どうしてだろうか、彼女の姿は幾ら辺りを見渡してもなかった。
 こうなると、途端に静寂が恐ろしくなる。ぞくりと身の毛がよだち、彼女は反射的に顔を引っ込めた。得も知れぬ不安が、次第にまりなへと襲いかかってきた。
 極度の緊張感により乾ききった厚い唇を舐めまわすかのように舌を乗せる。やだ、何これ、アタシ。怖がっちゃってんの?超ダッサイんですけどー。いやいや、アリエナイですからぁー。十分過ぎるほどに唇を湿らせ、そこから大きく溜め息を吐き出した。とりあえず、誰もアタシを待っていないのであれば、アタシが誰かを待てばいいんだ。そうだ。そうすれば、アタシこの場で、ひとりじゃないでしょ。
 さも名案が浮かんだとでも言うかのように、瞬時にまりなの表情が明るみを帯びた。つい先ほどとは打って変わって艶やかなほどに血色が良くなった顔を上げれば、自分のすぐ後にここを通るであろう人物に思いを馳せた。確か、聞き間違いでなければ山田太郎は二分間隔で出発すると言っていた。それならば、もう少しできっと彼はこの場に現れるのではないだろうか――
「――若月!」
 ビンゴだった。暗がりから姿を見せた若月直幸(男子17番)が、今まさに目の前に立ち尽くしていた。
「ゆ……湯浅……?」
 繊細な顔立ちが引きつるように歪んだかと思えば、直幸は「ひっ」と喉奥から絞り出すように声を漏らした。
「く、来んなよ!何だよお前、何でここに居んだよ!」
 今この場にまりながいることが想定外とでも言うかのように、少年が半歩ほど身体を後方へとずらす姿がまりなの目に痛いほど焼きついた。まるで全身でまりなを拒絶するように、顔の歪みがどんどん色濃くなっていく。あ然とするまりなをよそに、その一瞬の隙を突いて、彼女に対して目も暮れずに横切り、直幸は建物の外へと一目散に駆け出した。
「ちょっ……」
 不測の事態に、頭が、身体が追い付いていかない。そんな己を叱咤するように立ち上がらせれば、私物の鞄とデイパックを引っ掴み、慌てて後を追う。
「待ちなさいよぉ! 置いてかないでよ、怖いじゃないのよおっ」
 周囲の目もはばからず、まりなは直幸の背に向かってヒステリックに怒声を浴びせた。その距離数メートル。聞こえていないのか、あるいは無視を決め込んでいるのか、直幸が振り返る気配はまったくもって窺えない。この野郎、あいつ、アタシのこと拒否しやがった!
 火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか、ただ単に女の意地とも言うべきだろうか、至極普通の日常生活であれば大きく引き離される筈だった二人の距離は次第に縮まっていき、ついには直幸の元へ辿り着くまで残すところあと僅かというところまでまりなは迫っていた。艶めかしくさらけ出した両の脚を、大きく前後にスライドさせる。もう少しで校門を越えてしまう。肩に圧し掛かっていた荷物の重みなど気にも留めずに、彼女はラストスパートを掛けた。

本音を漏らせば、待つのであれば誰よりも栗山秋(男子4番)を待ちたかったのだが、それ以上にこの状況下の中で一人になることの方がよっぽど怖かった。誰か一人くらいは待っていてくれているに違いない――始めのうちこそそんな都合の良い考えがまりなの心中を占めていたが、その一方で、もし誰もいなかったらと、そんな思いもまた、心の隅の方に隠れ、潜んでいた。しかし、それを誰が肯定出来よう。滲み出そうになる不安を脳内の奥底へと押し込んでしまうかのように、ボリューミーな髪を乱しながら頭を振り切り、改めて直幸の後ろ姿に目を遣った。瞳に小さく映し出されていた彼の姿も、今や眼球を上下に動かさない限り全身が映し出されないほどまでに追い上げている。あとは、手を伸ばして彼を引きとめるだけだ。もう、ひとりじゃない。
 それが独りよがりの考えであることも気付かぬまま、まりなは前後左右めちゃくちゃに振り乱していた腕を前方へと突き出し、ついにはその掌を握り締め、ありったけの力でこちらへと手繰り寄せた。果たして少女の思惑通り、直幸は引力が働いたかのように彼女の元へと身体を反り返らせることとなった。身体が大きく崩れ、少年の後頭部は少女の顔面目前へと迫り来る。しまった、危ない、避けなければ――思うや否や、まりなは反射的に首を傾ける。すれすれのところで顔面直撃は免れたものの、カチリと、首輪同士がぶつかる音がした。
「ぅげぁっ、」
 直後、直幸の喉から発せられた、絞り出したような声とくぐもったドン、という音とが重なり合ってその場に響き渡ったのは、ほぼ同時刻のことだった。
「――ちょ、な」
「に」
 まりなが疑問の声を上げ終わると同時に、再びくぐもった破裂音が――今度は体内に――反響したのを最後に、彼女の知覚はそこで途絶えた。

まりなが直幸を呼び止めようと引っ張った箇所が彼の首輪であったこと。
 その勢いで首輪に内蔵された爆弾のプログラムが作動してしまったこと。
 ――その際に、直幸の首輪とまりなの首輪とがほぼ密接していたことにより、彼女の首輪のプログラムも連動して作動したこと。
 どれも全て、彼ら二人は知る由もない。あと数歩ばかり歩を進めれば校門を跨げるその場所に、首のない男女の亡骸が存在するばかりだった。飛ばされたのだろうか、数メートルほど離れた位置に、ふたつの頭部がそれぞれの身体から顔を背けながら、転がっていた。

【残り 二十九人】