あ、消えた
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試合開始:10
トップバッターとしてプログラム会場内へと駆り出された五月若菜(女子5番)が教室を後にし、早二十数分もの時が流れていた。二分間隔で紡がれる山田太郎の出発を諭す言葉に身を震わせながら、誰もが口を噤み、ただひたすらに自分の名が読み上げられるのを待つばかりだった。
静寂が辛い。
つい先ほど真掘豊(男子12番)の名が読み上げられたばかりだったが、彼は一度ぐるりと室内を見渡し、唇を噛み締め――それでも、反抗するでもなければ泣き叫ぶようなこともせず、私物のリュックを背負い、肩に支給されたデイパックを掲げながら教室を後にした。
反抗、と称して良いかはわからなかったが、兎に角もそのような行動を仕出かしたのは名を読み上げ始めてから現時点までの間、五月若菜、ただ一人だけであった。出発間際に彼女が「殺し合いなんてしない」と、そう口にしながら兵士たちを振り切っていたのは記憶に新しい。もっとも、新しいと言えども遥か遠い過去の出来事であるように感じているのは、恐らく自分一人だけではないだろう。二十数分前の話であるにも関わらず、だ。
そんな彼女が扉の向こうへと姿を消した際、そちらへと向けられていたのはクラスメイト達の視線だけではなかった。
教卓に佇立する山田太郎。いつ、どこから取り出したのか誰もが予想もつかぬままに、気が付けば彼の手の平に収まり着れんばかりのハンドガン――名称など知りやしない、一般庶民だ、当たり前でしょう――が、彼女の元居た方向へと向けられていた。
少しの間、いや、暫く間をおいて、いや、実際のところは数秒も経っていないだろうが、彼自身も、そして銃口も微動だにしないままであったが、
「――次、二分間隔です。二分間隔で、次の人を呼びます」
そう告げれば、何事もなかったかのように手元に置かれていた帳簿を再び取り上げた。この座席の位置からだと教卓の影に遮られてしまったが、恐らくは元々収めていた場所に戻したのだろう。ハンドガンは姿を暗ましていた。
いや、今はそんなこと重要ではない。五月若菜が反抗――という事にしておこう――したことも、一生見ることはないと、むしろそのようにすら考えたことのなかった拳銃を見てしまったことも、そんな拳銃を山田という奴が若菜に対して向けていたことも、重要などではなかった。
――次は自分だ。
先ほど出発した豊、彼の二分前に室内を飛び出した平山竜太(男子11番)、そしてその前が――
夏目春恵(なつめ・はるえ/女子10番)の力無い後ろ姿が脳裏を過ぎり、長谷部恭子(女子12番)はぶるりと身を震わせ、込み上げる嘔吐感を喉奥に押し込みながら、力のままに拳を握り締めた。
出席番号は男女混合だったため、太郎に番号と名を読み上げられる他に男女別の番号を知る術など持ち合わせていなかったのだけれど、自分のひとつ前の女子が乃木由依子(女子11番)である事は元々知っていた。そして、女子では最も出席番号が近いとの理由がきっかけで、彼女が春恵と仲良くしていたことも知っていた。その由依子はと言えば、先刻安原伸行(男子14番)の巻き添えを喰らい、彼同様一足先にクラスメイト達に対し別れも何をも告げぬまま、プログラムから離脱。それ故に順番が繰り上げられ、本来彼女の後であった豊が、竜太の出発直後に名を読み上げられることとなったのだ。
豊の前のはずだった由依子。由依子の前の竜太。そして竜太の前は――春恵だ。
――次は、自分だ。
じわりじわりとした痛みを伴いながらも、握り締めた手の平から視線を外すことが出来なかった。
死んじゃう――あたし、死んじゃうの?
「はい、エフ、イチニ。女子十二番長谷部恭子さん。出発です」
山田太郎の声が聞こえる。死刑宣告を受けるかの衝撃が、恭子の身に降り注いだ。
私物の鞄に入っていたものと言えば、ほんの背伸びをして揃えたささやかな化粧品道具と生理用品の入ったポーチ、ちり紙ハンカチ、そして小ポケットの隅に小ぢんまりと存在していた家の鍵、それだけだった。教科書などの類は元居た教室の机の奥深くに眠っているのだろう。これと言って役立つようなものも何も入っておらず、果たして必要であるのか疑問を覚える鞄ではあったが、これまでに出発していた誰もが私物を持って行ったこともあり、恭子もそれに倣うかのように手に取っていた。
足を踏み出すごとに、キュッキュと靴が鳴き声を上げる。履いたままの学校指定の運動靴が、冷え込んだ通路とこすれ合っていた。学校の教室に居たところを連れ去られたのだ、上履きのままであるのは当然と言えるだろう。
恭子が教室を出たあと、各々真正面を向く兵士たちが廊下を占領していた。学校と同じ作りなのだろう、本来であれば外の景色が見えていた筈の窓には鉄板が張り巡り、電灯の灯りだけがその場を照らしていた。まるでスポットライトに当たっているかのように、兵士の存在が大きく感じてしまう。とても、とても。
廊下は真っ直ぐと言えども、室内から足を踏み出せば、途端に左右どちらへ行ったらよいのか判別がつかなくなる。思わず立ち尽くしていると、左手側の兵士らが一斉に銃口を恭子へと向けた。
「ひっ」
あとはもう、――そう、流れ作業のようなものだ。銃口が自分へと向けられていると認識するや否や、恭子ははじかれたように右手側へと駈け出した。
走る衝撃で、デイパックがガシャンガシャンと派手な音を立てる。しかしそんなことに構っていられやしない――否、そのような状況下にあるということを、恭子は判別出来ていなかった。細く長い足をスライドさせ、未だかつてないほどの速度で突き当りの階段を駆け降りる。表情からは焦りの色が見て取れ、健康的な色合いの肌は、次第に青ざめていった。
銃だ。銃だ。銃だ。銃だ。銃だ。死んじゃう。死んじゃう。死んじゃう。銃だ。
暫くの間それだけが恭子の思考を支配していたが、全速力で校舎内を駆け回り、ようやく玄関口へと辿り着いた頃にはそれもすっかり消え失せていた。恐怖心は取り払えなかったが、息絶え絶えになり、幾分か落着きを取り戻したのだろう。ぜえぜえと息を荒げながらも胸を抑え、ゆっくり、ゆっくりと酸素を吸い込んだ。まだ始まったばかりだ。まだ、
「死んだ訳じゃない……」
死。その一文字を口にした途端、かつて室内に鳴り響いた銃声が脳裏を掠めた。だらしなく宙を仰いだ伸行の姿が、否応なしに映し出される。戦争映画でしか見たことのない紅が、改めて視界一面となって現れた。
その拍子に、瞬時にして視界がぼやけ出した。それに伴い、熱く濡れる頬。目元を拭うことも忘れ、声を張り上げながら、恭子は再び駆け出した。
玄関扉に手をかけ、駈ける勢いのままに場内へと飛び込む。扉を開けば、辺りは何の障害もない平地が広がっていた。正面を突っ切れば、暫く行くと商店街へと辿り着いたのだが、恭子はそうせずに、何を思ったか飛び出した瞬間に右折をしていた。先刻の反射を体が覚えていたからか、それは定かではないが、デイパックと鞄を確りと握り締めたまま、恭子は校舎の影へと駆け込んだ。
途端、パン、と鼓膜を大きく震わす音が聞こえた。それに連動して頭に大きな衝撃が走るや否や、恭子はもんどり打ちその場に崩れ落ちた。額からゆるゆると血を垂れ流したその姿は、数十分前の伸行を彷彿させるようだと言うことを、恭子自身は知る由もなかった。
【試合開始終了 : 残り 三十一人】