拝啓 君へ

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試合開始:17

両腕に掛かるずしりとした重みが、今起きている状況がすべて現実であることを物語っていた。レミントンM870――同封されていた取扱説明書には記されていたその名称。どうやらこの散弾銃が、赤石武也(男子1番)の支給武器のようだった。
 出発順が二十四番目ともありクラスメイトの大半を見送った訳だが、いよいよ自分の出番が訪れた際、政府軍からデイパックを受け取る直前に、武也の心中に違和感が生じていた。小さな少女たちが彼を待ち構えながらその腕に抱えていたのは、これまでに出発した級友たちが受け取ったものとは明らかに形状の異なる、と言うよりも、遥かに大きく上回るサイズのデイパックであったからだ。髪の毛を二つに結わえ、茶目っ気溢れる笑顔を始終浮かばせていたからか、いかにも城田水穂(女子6番)を彷彿させる少女が「ラッキーだね」と、武也にしか届かないであろう声量でにんまりと口角を上げたのがどこか引っ掛かっていたが、まさかこのことであったとは夢にも思わなかった。いや、そもそもこの散弾銃の存在など知りもしなかったので、想像すら出来なかったと表した方が正しいだろうか。
 その引き金を引けば、銃口から飛び出る弾丸はいとも容易く木の幹を抉り、彼らの血肉を四方八方に弾き飛ばすこととなるだろう。しかしその事実を、武也は知らない。テレビのブラウン管で時折流れるドラマや映画の銃弾戦では、人の成り形姿はそのままに、銃弾が貫通したと思わしき赤い点が小さく人体に浮かび上がるか、或いは血糊が噴水のように撒き散らされていたか――武也の知識など、いち中学生の知識など、それ位の僅かなものに過ぎなかった。
 だからこそ、ただ一心に少女のことを想い、引き金に指を掛けられるのか。クラスメイトに、友人らに向かって、この引き金を。自嘲的な笑いが武也の口の端から僅かに漏れる。
 とはいえ生まれてこの方、例えお祭りの射的でさえ試したことがなかった。狙いの定め方など先刻読みふけった支給武器の取り扱い説明書で学んだ位であるし、そもそも引き金を引くなどもっての外だったが――やるしかない。
 全長おおよそ一メートル、重量に至っては三キログラム半ものそれを、少年は抱き寄せるように腕に抱え込んだ。恐ろしさの余りか、それとも武者震いだろうか、小刻みに震える体を抑えるかのように、腕の力を更に込めた。
 他者に位置が把握されてしまうという危険性はもとより、そもそも銃弾の数が限られてしまうので、試し打ちをすることすらままならない。換えの銃弾が納められていた箱は全部で十箱入っていた。ひと箱につき弾は四つ、わざわざ手作りのラッピングで彩られたその箱は、恐らく政府側の人間が、一度に装着出来る弾数毎に入れ替えたに違いない。弾の合計数は四かける十で四十。一人一発ずつ仕留めれば、或いは……そこまで考えて、武也は静かに首を振った。馬鹿げている。射的すら経験したことのない自分が、何を考えているのだろうか。
 練習は出来ない。すべて一発勝負、本番である。自信は微塵も欠片も無かったが、それでもやらなければ何も始まらないのは、日常生活同様、ここでも変わらなかった。ならば、彼にとって行わねばならないことは、唯ひとつだった。

「寂しいだろ、一人じゃ」

だから早く、少しでも、それが例え一秒の差であれ、限りなく早く、そっちにみんな連れてっから、俺が。だから、
「待ってろ」
 独り言にしては明確に、一言一句はっきりと武也は呟いた。自分自身の耳に届いたその声は、今にも泣きそうだった。
 震え、大きく息を吸い込むことがままならない中で、鼻から目一杯空気を取り込んだ。肺の奥深くまで酸素を行き渡らせると、歯の隙間から、ゆっくりと息を吐き出した。
 覚悟を決めねばならないのだ。
 中学生ながら、とても愛おしく、何よりも大切だった少女が今隣りにいたのならば、状況は変わっていたかもしれない。彼女と共に友人らを探そうと行動を起こそうとしていたり、もしかすると二人きりで隠れていたのかもしれない。何にせよ、恐らく自分はこんな戦闘実験に積極的になろうとする姿勢ではなかったろう。
 しかし、それはすべて“そのような可能性もあったかもしれない”という話に過ぎない。現実として、もう由依子は生きていない。それだけが事実だった。
 気が付けば、カチカチと小さな音を立てていた歯の震えは収まっていた。大丈夫。由依子に寂しい思いはさせない。安原伸行(男子14番)しか“そっち”に一緒にいないなんて、そんな寂しい思いはさせてなるものか。もっとクラスメイト、そっちに連れていくから(この時点で死者は他に若月直幸(男子17番)湯浅まりな(女子16番)もいたのだが、武也は校門からではなく裏門から分校を出たため、その事を知る由もなかった)。

「何、何だよ!?今の音」
「爆発音……?」
 突如轟いた爆発音は涼と光にも届いていた。これはただ事ではないと顔を見合わせると、荷物はそのままに(しかし支給武器はその体から離すことなく)二人は示し合わせたように音のした方へと駆け寄った。
 駆け寄るや否や、元々忙しなく音を立てていた心音が、突として急激に跳ね上がる。
 校門前で見たもの同じく、頭部が胴体から引き千切れ、分離している死体が一体、転がっていた。
 首はあちらを向いており、涼と光の立ち位置からはその人物が果たして誰であるのか判断しがたかったが、遺体が学生服を着用していたことから、明らかに男子生徒であることが窺えた。頸部の断面図がこちら側に向かって刻鮮明に映し出される。直視しがたく、思わず目を背ける光を後目に、臆することなく涼は遺体へと足を運んだ。胴体には目もくれず、頭部が転がる位置まで歩みを進めると、躊躇する間もなくその場に膝をつく。遺体の首に手を伸ばし、あれこれ思い惑うこともせず、涼は身を乗り出して遺体の顔を覗き込んだ。
 かつて澄んでいた瞳は淀みきっており、今は何をも映していない。頸部が引き千切られた際に地面に叩き付けられた衝撃だろう、その顔には土と雑草が大量にこびり付いていた。
「赤石……」
 たかだか中学生がその表情から読み取れるものは、何もない。彼が何を思ってその腕に大きな銃を抱えていたのかも、何を胸に秘めていたのかも、どのような経緯でこの場で絶命してしまったかも、何一つ解明できることはなかった。しかし唯一、無念さだとか、後悔の念だとか、何をも浮かべていなかったその遺体の表情は、首輪の爆発が突然のことであったことを物語っていた。ただし、それだけだった。武也が死んでいる。首が飛ばされている。首無し死体は、武也だった。

「――死にたくねぇなあ……」
 ポツリと漏らすような光の呟きは、彼自身無意識の内に発していた。
 涼は武也の頭部をこちらへと向けたまま動く素振りを見せずにいたし、光もまた、武也へと曖昧に目を遣ったまま、その場に立ち尽くしていた。
 光の視線には気付いてはいたが、今はそれどころではないので少々放置し、涼は考え込んだ。山田太郎は確かルール説明の際に、禁止エリアに侵入するか、二十四時間以内に死亡者が出なかった場合か、或いは無理に外そうとした際に首輪が爆発すると言っていた筈であった。このエリアが禁止エリアであるのならば、涼と光双方とも武也と同じ運命を辿っていただろうし、二十四時間で死亡者がゼロだった場合も同じことが言えるが、如何せん二人の首輪は何の反応も示していない。そもそも、プログラムが開始してから一、二時間そこら経ったばかりである。禁止エリアという考えも時間切れという考えも、明らかに異なっていた。
 であるならば、残りはただひとつ、武也が無理に首輪を外そうとした可能性が高い。
 しかし。しかし、だ。
「なあ涼、……武也の持ってるこれってさ」
 語尾に向かうに連れて声が小さくかすれ上がる光が指さしたのは、武也であったものの胴体部分に重なるようにその存在を黒光りさせて主張していたレミントンM870だった。
 そう、引っ掛かっていたのはまさにそこである。
 あえて彼には告げなかったが(多分動揺をしてしまうので。そしてその考えは、確かに当たっていた)爆発音を轟かせたのは誰であるのか、その顔を覗き込むよりも早く目に留まったのは、その両の腕が触れていた散弾銃の存在だった。
 本来涼と光の居た位置からはおおよそ十メートルといったところか。首が不在の体から銃を剥ぎ取ると、ふーん、と声を上げ、それからなめ回すかのようにしげしげと吟味した。
「……んー、」
 安全装置は解除されていた。護身の為か、それとも――自分たちを狙っていたか。
 その答えを武也が紡ぐことはもう無いため、真相は闇の中に消えていった。何にせよ、恐らく首輪が爆発したことが原因で、武也は死んだ。
 黙したままの涼を、不安げな表情で光は見つめた。散弾銃を手に取ったまま、彼女が動く気配はない。何か考え事をしている彼女に声を掛けることなく、暫くそのまま彼女を見つめていると、少女はようやく動きを見せた。
 これをデジャヴと称しないで、何と言うだろうか。
 遺体を押しのけ、傍らに置かれていたデイパックに手を伸ばす涼の姿を見、光の顔から血の気が引いた。そこには思わず頭を抱え、俯く彼の姿が新たに映し出されていた。

【残り 二十八人】